ロジックを尽くしても割り切れないのは、なぜか
- 市原孝(くるるの扉)

- 7月11日
- 読了時間: 4分

ようこそ、くるるの扉へ。
情報は、十分に集めた。優秀な部下の意見も聴いた。数字も、論理も、尽くしている。それなのに、最後の一歩が、どうしても踏み出せない。
多くの経営者が、この「割り切れなさ」の前で立ち止まります。今日は、それがなぜ起こるのか、そしてどうすれば越えられるのかについて、書いてみたいと思います。
情報は十分にある。それでも決められない理由
決められないとき、私たちはつい「まだ情報が足りないのだ」と考え、さらにデータを集めようとします。けれど、重い決断ほど、情報を足しても決められるようにはなりません。
なぜなら、そこで問われているのは「正解を知っているか」ではなく、「その決断を、自分が肚から引き受けられるか」だからです。これは情報量の問題ではなく、意思決定の主体である"あなた自身"の状態の問題です。
認知バイアスは、賢い人ほど巧妙にかかる
近年の行動経済学や認知科学が明らかにしているとおり、人間の脳は、構造上「認知バイアス(認知の歪み)」から逃れることができません。
そしてこの歪みは、思考力のある人ほど、より巧妙な形でかかります。
近年の心理学研究でも、知能や論理的思考力が高い人ほど、自分の都合の良い情報だけを集めて持論を正当化する(マイサイド・バイアス)傾向が強く、自身のバイアスに気づきにくいことが分かっています。高い思考力があるからこそ、自分の偏った判断を正当化するための「もっともらしい理屈」を、脳が瞬時に、しかも完璧に組み立ててしまうのです。
厄介なのは、バイアスは「非合理な判断」としてではなく、「合理的に考え抜いたつもりの判断」の顔をして現れる、という点です。過去の成功体験、失いたくないという怖れ、「経営者はこうあるべき」という思い込み、それらが、論理の衣をまとってあなたの結論を静かに歪めていきます。
一人で考え抜くほど、その歪みには気づけません。同じ視点から、同じ材料を、何度も見直しているだけになりがちだからです。
社会的仮面(ペルソナ)を、そっと傍らに置く
もう一つ、決断を鈍らせるものがあります。「理想の経営者像」という社会的仮面(ペルソナ)です。
責任が重いほど、私たちは無意識のうちにこの仮面をかぶり、自分の本当の欲求や不安、葛藤を、心の奥へ抑え込んでしまいます。
けれど、抑え込まれた本音は消えたわけではなく、"割り切れなさ"や"言葉にできない違和感"として、決断の手前で立ち上がってくるのです。
だからこそ、まずはその仮面を一度、そっと傍らに置く必要があります。
光の側面だけでなく、影となる声にも丁寧に耳を傾け、曇りのない「深い自己一致(本音)」の状態をつくること。そこではじめて、思考はクリアになります。
"肚落ち"とは納得して踏み切れる状態
私たちがセッションで目指すのは、「正しい判断」そのものではありません。
あなたが、自分の本音と一致して、納得して踏み切れる状態であること、すなわち「肚(はら)落ち」です。
肚落ちは、根拠のない「勘」とは違います。
近年の認知科学では、一見無関係に見える出来事のつながりから意味を読み取る力(ユングの言う「シンクロニシティ」)が、高いマインドフルネス状態と深く相関し、不確実な状況下におけるトップの「戦略的直感」に寄与することが示唆されています。
左脳的な論理を大切な基盤としながら、内面を深く調律したときに立ち上がる、この研ぎ澄まされた直感。それが、正解のない状況を越えていくための力になります。
意思決定の質は、自己洞察の深さで決まる
私たちは、意思決定という「外への出力」のクオリティは、自己洞察という「内への入力(調律)」の深さによって100%決まる、と考えています。
より良い決断とは、外からより多くの答えを足すことではなく、決断を下すあなた自身の内と外を、深く調律(チューニング)することから生まれます。
認知バイアスを超えてご自身の本音にリーチし、外側の時流(大局観)と、内側の本音がピタリと交差したとき、そこに、揺るがない納得が立ち上がります。
だから私たちは、"答え"をお渡ししません
「くるるの扉」のセッションは、あなたに答えを提供する場ではありません。
異なる専門性を持つ二人が伴走しながら、あなたが、あなた自身の本音にたどり着き、肚落ちして決断を下せる、その状態をともに整えます。
論理を尽くしてもなお残る"最後の一歩"を、ご自身の力で踏み出せるように。
その静かな調律の時間を、私たちはご一緒しています。


